第7回 和の哲学・実学研究会

日 時:平成23年11月19日(土)
場 所:吉祥寺本町コミュニティーセンター3階会議室1,2

 

最初の15分の動画です。ディスカッションを含む全体の動画(一部カット有)を高画質でご覧になりたい方はDVDを購入して下さい。

DVDのご注文はこちら
(クレジットカードで決済できます)
※販売代行:DVD制作のスタジオカノン
(山田 修一郎)
連絡先メール info@shu16.com

ソリューション画像

2,000円(税込み)です。
上記、「カートに追加」をクリックして、決済してください。

クレジットカード決済以外のお支払いをご希望の方は、info@shu16.com までご連絡ください。お支払い銀行口座をお伝えします。

【次 第】
開会の辞 一色 宏             午後6:00~6:10分

特別講演:「日本のイメージ形成の方法としての芸術─欧米人の視点─」 
スベトラーナ リバルコ教授     午後6:15~7:15    
ウクライナ国立ハリコフデザイン・芸術アカデミー
プロフィール:1990年サンクト・ペテルブルク国立レーピン記念美術アカデミー芸術学部卒、芸術学博士、ウクライナにおいて東洋学、日本学研究の流れを復興しつつある中心人物。今回の講演では、20世紀から21世紀にかけての日本文化の展示を通して、芸
術が東洋と西洋との対話の土壌となったことをウクライナの例を通じて強調します。

[論 文]:『日本古典における文化的芸術の普遍性とそれらの徳川時代における造形芸術への投影』
[著 書]:「古典日本文化」:辞書・便覧(2001)・からし種の中の世界「巨匠達と侍」「神々の微笑み:日本のミニアチュールな彫刻芸術」「天照大神の国:着物,根付,印籠」他

[通 訳] 野村千恵子.芸術学博士、ハリコフ国立舞踊学校卒、ハリコフ国立デザイン・芸術アカデミー大学院卒

「世界から見た日本芸術」スベトラーナ教授
http://www.youtube.com/watch?v=7aXPuf2bsHA&feature=related
http://www.e-gci.org/20110326.html
http://www.miraikoso.org/before/78mirai/svitlana/purpose%20of%20visit/Svitranaprofile.html

スバトラーナ教授のサイト:http://rybalko-orient.com.ua/
サイトの右上、ロシア語を常に翻訳のボックスをクリックすると日本語でみることができます。
例) http://rybalko-orient.com.ua/category/news/

--------------------------------------------------------------------------
特別共演:琴 の 演 奏「 和 の 調 べ 」  7:30~8:00
日本を代表する世界的ギター・リスト, 高谷氏が日本美の深奥を奏でます。

高谷 秀司 】1956年大阪生まれ、ギタ-リスト。1985年に渡米後、ラリー・カールトン、デューク・ジョーダンらと共演。2002年にマサ大家とソウルメイツを結成し、ヨーロッパ、アメリカツアーを経て、ジャンジャック・ミルトゥー、ポール・ブラウンらと共演。
シドニーオペラハウス「日豪 交流年・ジャパンフェスティバル」、フランス大使館後援の「音楽の祭日」、東京藝術大学120周年記念「ジャズin藝大」などでも公演し好評を博した。人間国宝山本邦山を迎えた「大吟醸」や、デビッド・マシューズとのアルバム「G2 NewYork Recordings」など幅広く活動する。
2010年1月にはLAにて、世界最大の楽器ショーNAMMに出演。5月にはオーストラリアツアー。そして7 月G2usとして和をテーマに童謡をカヴァーした「ふるさと?mother place」をリリース。斬新な手法と繊細かつ大胆な音楽表現は、ヨーロッパ・アメリカを始め世界中の観客を魅了し続けている。 ⇒ http://www.takatani.com/index.php
http://www.youtube.com/watch?v=EHmSe6Sq1FM

閉会の辞:     午後9:00~9:10

主 催:和の哲学・実学研究会  http://wagaku.gci21.org//
協 賛:地球市民機構/ NPO法人 知恵の輪、 NPO法人未来構想戦略フォーラム、ほか

【プログラムダウンロード】

表面 裏面

【当日メモ】

一色:日本の文化・芸術を日本人の方が知らない。
ノルウエーの政治学者ガルトゥング(Johan Galtung)が、「オレンジが2つしかないとき、どうするか?」学生3人に聞いたことがある。一人は「ミキサーにかけて、3等分する」と答え、もう一人は「競争で勝ったものがそれを取ればいい」と答えた。 しかし、3人目の学生は「私はオレンジの美しさを味わえただけで十分です」と答えた。平和はここにある。美が生まれるところ、人が和合し平和が生まれる。

スベトラーナ教授:
置物の位置が安定していない。置物はありながらもない。日本の美術史には、置物という項目がない。芸術作品として認められず、工芸品扱いだ。美術史から脱落している。 だが日本の置物は、日本のイメージを形成する大きな役割を果たした。今も形成しつづけている。置物は芸術だけでなく、文化、政治的問題も内包している。

【高村光雲】、小型の彫刻が芸術的な価値を持つ。
1868年、日本の作品が初めて万博に出品された。これは駐日英国大使が、ロンドンで開かれた展示会で日本で買い付けたものを展示したものだった。だが、展示されたものを見て英国人が驚いた。その万博に参加した日本人は困惑した。その作品は不出来だったと報告書に書いてある。そこから東洋と西洋の芸術を通した対話が始まった。
国の管理の下に、作品を万博に出すようになる。 その後、万博の展示品は、日本からのメッセージを込めたものになった。だから作品を見れば、どのようなイメージを海外に発信したのか見ることができる。 
1873年、ウイーン万博があった。たくさんの日本の芸術作品が展示された。日本からの作品は、欧州のインテリアに合わせて作られた。それで大型の置物が作られるようになった。 日本の置物はいい時期に、欧州の展示会に出てきた。日本の置物は、装飾だけでなく、話の種になった。 欧州では19世紀後半、民俗学がはやる。民族史学への関心がたかまって、そうした下地があって日本のファンタスチックな作品が登場した経緯がある。 置物で日本の生活を垣間見ることができ、民俗学的興味を満たすことができた。また大量に生産された背景には、日本国内でも需要が高まったからだ。 明治維新はたくさんの職業を奪った。
廃仏毀釈で、寺院が閉鎖され、芸術家は職を失った。才能ある彫り師や仏像製作家などが置物製作に移っていった。 高村光雲が、当時、はやった。観察を通じてものを描く日本的リアリズムが始まることになる。それまで想像によって書いたり、作られたりした。

【旭玉山】、バランス感覚がすぐれ、欧州の伝統と日本のバランスをとった。
均等の取れた肉体と立体感のある体が特徴で、玉山のセンスがでている。

【石川光明(みつあき)】、日本の彫刻の精細さに驚かされる。欧州ではこうした写実的な作品を作るのに何百年とかかったが、日本は20年,30年で完成させた。

【森のこうりん】さぎの置物。動きがエレガント。観察力がすばらしい。ひよこがミミズを発見して、心で走り出している瞬間を描いている。円盤投げのギリシャ彫刻には、瞬間に投げるような、動作につってないが、その動作を前提にした作品だが、ギリシャ彫刻より森野こうりんが勝っていると感じる。

ダビンチの母子像があるが、農民の母親が子供に乳を与えている作品が【宇田川和夫】の作品だ。ここには女性の崇高さ、女性賛美の心がある。

両方とも女性が少女のような、やわらかさと柔和さがある。
生活の場を精神的に高める作品を欧州人は喜んだ。

1910、日英博覧会に出展。それを通じて朝鮮や台湾など日本があちこち併合している日本政府は、英国に対し封建社会の国ではなく、昔から文化的な国だと伝えようとした。

裸体が置物で現れてきた。日本の美術史には、裸体は無い。春画はあったが、裸体の美をあつかったものではない。日本の芸術では触れていない。それまで歴史的な理想的女性像というのは、シルクをピラミッド状にまとったものだった。
体があるのかないのかわからないような姿だ。欧州では何世紀もかけて女性の裸体を書いてきた。それを日本は、何年かで全てを受け継ぐことになる。裸体というのは、西洋の美術で高い位置を占める。絵画科の入試には裸体を描くが、ファッション科では裸体を書くことはない。

古い日本を留めたのが置物だった。1920、30年代に日本人がなぜこうした置物を買ったのかわかる気がする。 19世紀終わりから20世紀にかけて、置物の主題が変わっていく。英雄が出てくる。 新しい政治の動きに起因したものだ。日本が強国に中に入ろうとしていた。ほかの国が帝国だったので、日本も帝国でなければならなかった。 日清戦争、日露戦争に向かう、新しいイメージが必要だった。 それで明治維新で武士の階級が無くなっていたにもかかわらず、侍の姿を芸術作品を作った。 侍の実力と精神力を示し、植民地とならず、これからも植民地にならないというメッセージをアジアの中で示した。戦争の時代に向けて、つぎの世代を作るため、桃太郎像などが作られた。時代の空気として、強い兵士になることができる願望があった。

日本人はメッセージを理解したが、欧州はそのメッセージを理解できなかった。
日露戦争は、欧州が悪夢にうなされた。どうしてこんなことがおこったのか。

日本人が欧州の視点で作った作品が出てきた。中国的要素を含みつつも主題は日本的だった。日本のオリエンタリズムともいえるもので、他の国がどのように日本を見つめたのか。欧州人が好む作品をつくることができた。

欧州の平民の家を飾った大量の日本人工芸家の置物が出てきた。これらは日本で作ったものだが、日本人が見ることなく、欧州に送られた。

日本が好きなのは、古いものに対する愛着があるし、日本人の技術力やセンス、日本の繊細で思いやりのある心を感じるからだ。

一色: 置物が日本の美術史から外されていた。海外で大事にされていた。雛人形は昔の物に素晴らしい物がある。 日本には繊細微妙な感性がある。日本には30万の性があるが、中国は3500、韓国は250、欧州でも数万にすぎない。器も20もの陶器を使って食事をすることがあるが、外国ではない。駅弁も1000種類、民謡は3万、東京だけでも1300、京都は600、宗教団体というのは18万もある。 どれほど多様で多彩なものか。祭りが8万あるというが、小さいものまであわせると30万。

野村:スヴェラーナ先生から教えられたのは「どんな暗闇があっても、あなた自身が輝いてていれば、周りは明るくなる」ということだ。 先生のおじいさまは、ほんのちょっと日本人記者と話しただけなのに、日本のスパイ扱いされて15年間、牢獄に放り込まれた。帰ってきた時は不具者になっていた。おじいさまは、それでも日本人を恨むことがないどころか、日本人がどうなったか気遣っていたという。スヴェトラーナ先生はそんなおじいさんの生きざまから日本に興味をもたれた。

先生が日本文化に関心を持たれたのは1980年代、まだソ連が崩壊することも知らない中、東洋学(芸術・文化方面)を学ぶということは出世の道を断念することであった。もしかしたら、そのような精神的なものを求める人々によって繋がってきた「東洋への関心」であるからこそ、今でも東洋は精神的な糧を得ようとする人々の心の拠り所であり、憧れの的なのかもしれません。

先生の言葉で印象に残っているものがあります。「ソ連時代に私たちにとって宗教の代わりに心人間性を保たせてくれたのがロシアと日本の文学だった。松尾芭蕉の俳句にどれほど慰みを得たことでしょう」スヴェトラーナ先生も、日本文化に普遍的諸要素を感じられるからこそ、今まで研究を続けて来られました。先生は、日本文化を理解し自国に伝えることは、人々を幸福にし、社会を良くする活動だと確信を持っておられます。先生にとって東洋学が心の拠り所であったように、先生は機会あるごとに、あらゆる場所を人生教育の場として考えて活動されます。先生は、母として、妻として、講師として、ジャーナリストとして、いつも美しい人間関係を追及され、人々の心に愛の光を灯す活動を黙々と続けておられます。このような先生の歩みは平和への奉仕以外の何物でもありません。

ある時先生はこんなことをおしゃっていました「芸術学者は、宗教を受け入れ辛い人の道案内人」。

先生は特定の宗教に属している訳ではありませんが、人が人として仲睦まじく、美しく、気高く生きる姿を希求しておられます。そして私が先生の活動に参加させていただきながら思うことは、「芸術、本当に美しいものは人を育て、人を変える力があり、この世で一番美しいものとは、深くて広くて崇高な愛で人々が交わるときに生み出される共鳴する調和の心なのだ」ということです。今まで、「芸術の中の芸術は人と調和することだ」という言葉が実感できなかったのですが、先生にお会いして、何となく分かるような気がしました。愛はもっとも力があり、勢いがあり、偉大ですね。

また、いま日本人が模索している「世界に発信できる日本らしさ」は、海外を通してより一層強く認識することが可能になると思います。


一色:文化の架け橋、共有された価値観、生活様式、知的資産の集積、民族ごとにある。 正倉院はシルクロード終着点であり、すべてが集まっている。 大事なのは宝ものそのものではなく、それと同じ物を作り出したことだ。それも収納されている。連合軍が米国に運び出そうとした。だが、風が吹いたら消えてしまうような品物がたくさんあった。一人の日本人がそれを守った。それが竹村平蔵先生だった。古代とはいえ、今のクリスタルとは比べ物にならない。美の世界というのは、全てを超えて魅了する。「美は真理の微笑みだ。」「美は世界を救う」とソルジェニーチンは言ったが、それは彼の預言である。文化の交流こそが大事だ。